賀茂氏と秦氏17

仮にツクヨミ暦を駆使できるツクヨミ族の一派が古代イスラエル人だとしたら、一つの仮説が浮かび上がってきます。それは次のようなシナリオです。 スメルの衰退とともに、中東(パレスチナ)に新国家樹立を目指したツクヨミ系に属する古代イスラエルの人々は、スメルの多神教文明から派生したユダヤ教を信じる独自の文化を形成しました。 そして紀元前10世紀にダビデとソロモンによって中東に巨大な統一国家を持つに至りましたが、ソロモン王の死後、部族間の抗争が勃発して、北の10支族がスラエル王国(北王国)を南の2支族がユダ王国(南王国)をそれぞれ作り分裂しました。 やがてアッシリア帝国が勃興すると、紀元前722年ごろ北王国が滅亡、アッシリアなどに服属する形で辛うじて存続していた南王国も紀元前586年には神殿を含む首都エルサレム全体が破壊されて、事実上崩壊します。 国を失った古代イスラエルの人々はバラバラになり、支族ごとに、あるいはある程度支族が集まって合流しながら生き残りを図ったのではないかと思います。 それこそ一部はシルクロードで行商・交易をしながら、独自のコミュニケーション網

やシンジケートのような組織を作ったに違いありませんね。 その中である程度歴史の舞台に記録を残したのが月氏です。 月氏族は、紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族で、月氏という国家も作りました。 秦の始皇帝の時代に、中国の北方を支配していたのはこの月氏だったんですね。 秦と事実上共存していたところがミソです。 同じ系列の一族同士ですみ分けていた可能性が出てくるからです。 その後、秦が紀元前206年に滅亡し、月氏国も紀元前2世紀、王が匈奴に殺され崩壊します。 王が殺された月氏は二手に分かれ、ひとつがイシク湖周辺へ逃れて大月氏となり、もうひとつが南山羌(現在の青海省)に留まって小月氏となりました。 (続く)